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更新日:
2026年2月18日
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◎ドミノ・ピザ(2025年9月7日)
「ドミノ・ピザ」は東京都品川区に本社がある株式会社ドミノ・ピザ ジャパン(創業:1985年9月、設立:2011年7月、資本金:1億円、代表取締役兼CEO:ディーター・ハーベル)が運営している宅配ピザ・チェーン店です。元々はアメリカ合衆国、ミシガン州アナーバー(Ann Arbor, State of Michigan)に本社があるDomino's Pizza, Inc.が展開しているビジネスです。そのドミノ・ピザを創業したのは、トーマス・スティーブン・モナハン(Thomas Stephen Monaghan)という人です。
モナハンは1937年3月25日にミシガン州アナーバーに生まれ、4歳の時に父親が無くなり、1943年から1949年までの6年間、6歳から12歳まで弟と共に孤児院に預けられたそうです。1956年、19歳の時、陸軍に入隊するつもりだったものの、間違って海兵隊に入隊したそうです。
3年後の1959年に海兵隊を除隊したモナハンは、故郷のアナーバーに戻り、建築家になるためにミシガン大学に入学したそうです。そして翌1960年12月、アメリカのミシガン州イプシランティ(Ypsilanti)の学生街にあった「ドミニックス・ピッツァ:DomiNick's Pizza)」という小さなピザショップを、ドミニック・デ・ヴァーティ(Dominick DeVarti)から500ドルで買ったそうです。この時、開業資金の900ドルは当時、郵便局で働いていた弟が貯蓄組合でローンを組むことで借りたそうです。
これはモナハン氏自身の学費を稼ぐためだったそうですが、モナハン氏がピザの作り方に精通していたわけでもなく、レストランの経営に長けていたわけでもなかったため、学費を稼ぎ出すどころか赤字続きだったそうです。このためモナハンは大学に通う暇もないまま、ピザ屋をやっていたそうです。
1961年には赤字続きのピザ店の運営に疲れ果てた弟が、宅配用に使っていた中古のフォルクスワーゲンと交換で経営権を放棄したため、モナハン氏が1人で経営を行うことになったそうです。モナハン氏はメニューからサンドイッチを外し、大学のキャンパスへの配達に注力し、そのために新しいピザボックスを開発したそうです。この新しい箱は、積み重ねても中のピザがつぶれないようになっており、また断熱性を高めており、温かいまま配達ができるようになったそうです。これにより「ドミニックス・ピッツァ」は繁盛し、5店舗を展開するまでに発展したそうです。
すると1965年、モナハン氏の商売が拡大するのを見ていたドミニック・デ・ヴァーティが商標権を主張したため、店名を「Domino's Pizza」に、社名も「ドミノ・ピザ(Domino's Pizza, Inc.)社に変更しました。
1967年には、ミシガン州イプシランティ(Ypsilanti, Michigan)に最初のドミノ・ピザのフランチャイズ店がオープンしました。その後、店舗数を拡大していき、1983年には最初の海外店舗となるカナダのウィニペグ(Winnipeg,
Canada,)に店舗をオープンし、米国では1,000店舗を達成しました。その後も世界中に店舗を展開していき、現在では世界中で最も多い店舗を展開しているピザ店だそうです。
そんなドミノ・ピザが日本に入ってきたのは1985年(昭和60年)9月のことです。創業者はハワイ、ホノルル生まれの日系3世、アーネスト・M・比嘉(ひが)さんです。比嘉さんは自分でも事業を起こしていましたが、彼の父親もビジネスを展開しており、ドミノ・ピザの創業者のモナハン氏と知り合いだったそうです。ドミノ・ピザの成功に興味を持っていた比嘉さんは、父親の紹介でモナハン氏と会うと、ピザ事業の大成功を目の当たりにし、日本での事業展開を提案したそうです。
そこで、比嘉さんは日本の事情を調査したそうです。当時、日本にはまだ宅配ピザ・チェーン店はなかったものの、米国資本のピザ・チェーン店は既に日本に入ってきていたそうです。三菱商事とキリンホールディングスがシェーキーズを、住友商事とアサヒビールがピザハットを展開していたそうですが、どちらも成功していなかったそうです。
比嘉さんは、何故、成功しなかったのか調査し、成功するための方法について検討したそうです。当時、日本ではピザはスナックとして扱われていたため、商品の単価が低かったそうです。また、客の注文を聞いてから焼くため、提供までに時間がかかり、客の回転が悪かったそうです。さらに日本人にはピザの味が合わないとも言われていたそうです。米国ではナチュラルチーズの1人あたりの年間消費量が13kgだったそうですが、日本は1kg弱と少なく、そもそもチーズが日本人には馴染んでいなかったようです。また、米国では宅配ピザがもの珍しがられて人気を得たそうですが、日本では蕎麦屋や中華料理の出前などが当り前で、少しも珍しい事業ではなかったようです。さらに、当時の日本人は家の中で出前の料理を食べるよりも外食を楽しむ傾向が強かったなど、ビジネス展開の難しい点が多く見つかったそうです。
ただ、比嘉さんは、宅配ビジネスとしては問題なく、宅配ピザを日本で成功させる鍵はローカライズだと考えたそうです。そこでイカ、照り焼きチキン、ナスなど、アメリカでは思いつかないような食材を用意し、トッピングを日本市場向けに変えたそうです。さらにアメリカでは車で配達していたものの、日本の事情を考慮すると不効率であることから、ホンダと共同で三輪バイク(ジャイロXに屋根を付けて改造した通称、「ドミノジャイロ」。後にホンダからジャイロキャノピーとして発売された。)を開発したそうです。
そして1985年9月30日、東京の恵比寿にドミノ・ピザ、1号店がオープンしました。三輪バイクは5台で、デリバリー専門店のため店は裏通りにあり、面積は19坪ほどで家賃も安かったそうです。問題のチーズは、日本の消費者の舌に合うよう、よりバターの風味が強くマイルドなチーズを用意したそうです。また、日本人の嗜好に合わせ、米国では12種類だったトッピングを日本では38種類に増やしたそうです。
当初は月商500〜600万円いけば良いと思っていたそうですが、蓋を開ければ初月から3000万円の売上があったそうです。このため急きょ、ジャイロを5台から30台に増やしたそうです。当時、駅前の好立地にあるファストフード業界の平均売上は、マクドナルドでもKFCでも600〜700万円/月くらいだったそうです。
ドミノ・ピザは大成功し、瞬く間に出店を重ねていったそうです。当初は関東地区中心の出店でしたが、2004年からはフランチャイズ契約で全国展開を開始しました。その結果、2013年3月には250店舗、2015年9月には400店舗、2017年9月には500店舗を達成しました。2021年12月に島根県に出店したことで47都道府県制覇を達成し、2023年には1000店舗を展開するまでに成長しました。
・New Yorker


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