メニュー
TOPページ
観光地
地域情報
日本のホテル
日本のニュース
日本について
美味しいもの
海外事情
海外のホテル
食品の話
雑学
用語辞典
リンク
更新日:
2019年8月18日
|
◎ケンタッキー・フライド・チキン(2019年8月12日)
ケンタッキー・フライド・チキン(Kentucky Fried Chicken、KFC)はカーネル・サンダースの人形でお馴染みのフライドチキンのお店です。カーネル・サンダースという名前から分かる通り、日本発祥のお店ではなく、アメリカのケンタッキー州で生まれたお店です。
ハーランド・デイヴィッド・サンダーズ(Harland David Sanders)は、1890年9月9日にインディアナ州(Indiana)クラーク郡(Clark County)のヘンリービル(Henryville)で生まれました。父親はサンダースが6歳のときに亡くなり、母親が工場で働きながらサンダースとその弟妹を育てたそうです。サンダースは10歳から農場に働きに出て家計を助け、学校は14歳で辞めたそうです。そして農場の手伝いや市電の車掌として働いたそうです。
1906年、16歳の時に年齢を詐称して陸軍に入隊し、キューバで勤務したそうです。1907年に除隊した後、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種類以上の職を転々としたそうです。そして30代後半にケンタッキー州ニコラスビルでガソリンスタンドを経営するようになったそうですが、1929年9月4日頃から始まった大恐慌のあおりを受けて倒産したそうです。
1930年、サンダースはケンタッキー州(Kentucky)ノースコービン(North Corbin)を通る国道25号線沿いのシェルのガソリンスタンドの経営を引き受けたそうです。そして1930年6月、ガソリンスタンドを利用した客から言われた一言から、ガソリンスタンドの一角にあった物置を改造して6席のレストラン・コーナー「サンダース・カフェ(Sanders Café)」を始めたそうです。
「サンダース・カフェ」ではハンバーガー、フライドチキン、ハム、豆料理、ステーキ、マッシュポテト、グラタン、パン、コーヒー、ジュース、サラダやオニオンリングを提供したそうです。サンダースはガソリンスタンドの支配人と調理師とレジ係を兼ねて働いたそうです。
「サンダース・カフェ」は州の南北を貫く幹線道路である国道25号線に面していたことから繁盛したそうです。そして1935年には「州の料理への貢献」が評価されて、ケンタッキー州のルビー・ラフーン(Ruby Laffoon)知事から「ケンタッキー・カーネル(Kentucky Colonel)」の名誉称号を与えられました。
「ケンタッキー・カーネル(Kentucky Colonel)」とは、アメリカ合衆国のケンタッキー州が定めている称号の1つです。ケンタッキー州に対して大きく貢献した人物に州政府(Commonwealth of Kentucky)知事から贈られる同州独自の栄誉称号で、名誉州民の意味でもあるそうです。単に「カーネル(Colonel)」とも呼ばれ、「名誉大佐」とも呼ばれるそうです。この「カーネル(Colonel)」の称号をケンタッキー州から受けたことで、ハーランド・デイヴィッド・サンダーズは「カーネル・サンダース(Colonel Sanders)」と呼ばれるようになりました。日本語に訳せば「名誉大佐(名誉州民)サンダースさん」ということになります。
1937年には「サンダース・カフェ」にはモーテルを併設し、142席のレストランに改装したそうです。1939年には店舗が火災に見舞われたそうですが、1941年にはコービン(Corbin)に147人収容のレストランを再建したそうです。この「サンダース・カフェ」で人気の商品がフライドチキンだったそうです。1939年に導入された圧力釜を用いた「オリジナル・フライドチキン」の製法は、現在まで「オリジナル・レシピ」として引き継がれているそうです。
1950年にローレンス・ウェザビー(Lawrence Winchester Wetherby)知事によってケンタッキー・カーネル(名誉大佐)に再任命されると、サンダースはその立場にふさわしいと考える服装をするようになったそうです。ヤギひげを生やし、黒のフロックコート(後に白のスーツに変更)とストリング・タイを着用したサンダースは、自らを「カーネル」の肩書きで呼んだそうです。
サンダースのレストランの客のほとんどは車で移動するドライバーであることから、同じような幹線道路沿いの店であれば同じように繁盛すると考え、フランチャイズビジネスをすることを思いついたそうです。そして1952年に、各地のレストランの経営者や従業員に「サンダースのハーブとスパイスの秘密のブレンド」、レシピと調理法、その名前と肖像を広告に使う権利と引き換えに、チキン1個につき4セント(後に5セントに値上げ)をフランチャイズ料として支払うという契約を行い、フランチャイズ展開を始めました。サンダースが62歳の時です。
1952年、ユタ州(State of Utah)、ソルトレイク市(Salt Lake City)のピート・ハーマン(Pete Harman)が最初のフランチャイジーとなり、フランチャイズ1号店が開業しました。「ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)」というブランド名は、この時、ハーマンによって提案されたそうです。
1955年、コービンの町外れを通過する州間高速道路75号線が開通すると、車と人の流れが変わり、国道沿いのサンダース・カフェには客が入らなくなったそうです。そしてサンダースは店を手放したものの、負債を返済した結果、手許にはほとんど資金が残らなかったそうです。
そこでサンダースは、フランチャイズビジネスの普及に努め、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を移動販売して回ったそうです。その結果、1960年には米国とカナダで400店舗、1964年までに600店舗を超えるフランチャイズ網を築き上げたそうです。しかし、自身の年齢や、親族に意欲がある後継者がいなかったこともあり、会社を売却することを考え始めたそうです。
そして1964年、74歳のサンダースはジョン・Y・ブラウン、投資家のジャック・C・マッシーをはじめ、フランチャイズ加盟者のピート・ハーマン、KFC役員のリー・カミングスとハーラン・アダムスらのグループに200万ドル(2013年の貨幣価値で約1500万米ドル)でKFCを売却しました。しかし、売却時の契約内容には、サンダースへの終身給与の支給に加え、サンダースが品質管理責任者として役職にとどまり、会社のトレードマークとしてコマーシャルに出演するという合意が含まれていたそうです。
マッシーとブラウンは統一性のなかったKFCチェーンの標準化を推し進めたそうです。ユタ州のピート・ハーマンの事業を視察した後、2人はユタ州の店舗だけの特徴だったテイクアウトのシステムをKFCチェーン全体に拡大しました。また、フランチャイズ加盟店をKFCの商品に注力させるため、各加盟店のオリジナル商品をメニューから削除させました。さらにKFCに加盟している店舗はデザインし直され、キューポラ付きのマンサード屋根をそなえた特徴的な赤と白のストライプ模様の外観に統一されたそうです。
その後、様々な企業に買収されるなどし、1986年7月にはペプシコが簿価8億5000万ドルでKFCを買収しました。1987年11月、KFCは北京に出店し、中国で展開する最初の欧米のレストランチェーンとなりました。そして1991年3月、会社の正式名称が「KFC」に変更されました。
この間、1980年にハーランド・サンダースが肺炎によって90歳で死去しています。また、最初のお店である「サンダース・カフェ」は、KFCのフランチャイジーであるリンダとジョン・R・ニールが1973年に購入しました。改装した後、カーネルの生誕100周年にあたる1990年9月9日にハーランド・サンダース・カフェ&ミュージアム(Harland Sanders Café and Museum、688 U.S. Route 25W, North Corbin, KY 40701)として再オープンしています。1940年代当時の姿を現在に残す博物館は、国家歴史登録財に登録されているそうです。
このKFCが日本に初上陸したのは1970年3月だそうです。三菱商事のシカゴ支店長代理だった相沢徹氏は1964年、KFCコーポレーションに日本進出の可能性を打診し、交渉を続けていたそうです。1967年、相沢氏は三菱商事の役員会にフライドチキンの事業化を提案し、1969年にKFCが合弁事業に同意したそうです。
そして1970年3月、日本万国博覧会にて米国KFCの実験店として出店され、1日に最高280万円の売上を記録するなど、日本でも繁盛する可能性が確認されたそうです。そして万博が開催されている中、1970年7月に米国ケンタッキー・フライド・チキン・コーポレーションと三菱商事(株)との折半出資によって資本金7,200万円の日本ケンタッキー・フライド・チキン(株)が設立されました。
そして1970年11月21日、愛知県名古屋市西区、ダイヤモンドシティ、名西ショッピングセンター内にケンタッキー・フライド・チキン(KFC)1号店である名西店(現在のイオンタウン名西の場所)が開店しました。
1970年9月13日に日本万国博覧会が閉幕すると、万博で使用されていた店舗を移築し、1970年11月27日に大阪府大阪市東住吉区(現、平野区)のダイヤモンドシティ、東住吉ショッピングセンター内に東住吉店(2号店)が開店しました。さらに大阪府枚方市に3号店となる「枚方店」を開店させたそうですが、いずれの店舗も不振だったそうです。これらの店舗はアメリカと同じ発想でロードサイド店だったものの、まだ日本では自動車が普及しておらず、時代に合わなかったようです。(1号店は、半年後には閉店)
そこで1971年4月、神戸、三ノ宮の商店街に「トーア・ロード店」(4号店)を出店したところ、大繁盛したそうです。商店街だったことに加え、外国人居留地が近い神戸という土地柄が、フライドチキンを受け入れたのかもしれません。
そして1971年7月に東京1号店である「青山店」(5号店、2006年に閉店)をオープンさせると、東京への進出を増やしました。1971年9月には日本におけるフランチャイズ1号店となる「江ノ島店」が開店しました。これらの店舗は現在、いずれも閉店しており、1971年12月オープンの「北青山店」が現存するKFC最古の店舗だそうです。ちなみに2019年7月現在、日本では1133店舗が運営されているそうです。














・ケンタッキー・フライド・チキン 北青山店
住所:東京都港区北青山3-10-7
TEL:
営業時間:
定休日:
駐車場:無
アクセス:東京メトロ、表参道駅から徒歩約4分
カード:可(JCB)
席数:40席
オープン日:1971年12月
|