メニュー
TOPページ
観光地
地域情報
日本のホテル
日本のニュース
日本について
美味しいもの
海外事情
海外のホテル
食品の話
雑学
用語辞典
リンク
更新日:
2025年6月22日
|
◎つばめグリル(2025年6月14日)
「つばめグリル」は東京都港区に本社がある株式会社つばめ(設立:1930年(昭和5年)10月、資本金:1,000万円、代表取締役:石倉知忠)が運営している洋食レストランです。1930年(昭和5年)創業という老舗のレストランです。
1930年(昭和5年)に石倉常吉氏が新橋で創業したのが最初だそうです。元々は新橋の駅の構内で和菓子や果物などを売っていたお店で、旅行案内所みたいなこともやっていたそうです。その頃、欧米の駅の構内には食事ができる店があると聞いたそうで、真似して食事の提供も始めたそうです。
「つばめグリル」という名称は電車の名前に由来しているそうです。1930年(昭和5年)10月1日から東海道本線に「特急 燕」という列車が運行を開始したそうです。東京駅と神戸駅を結ぶこの列車は、東京〜大阪間のスピードアップのために計画された列車だそうです。9時に東京駅を出発すると、次の停車駅は横浜駅で9時27分、その後、国府津、名古屋、大垣、京都を経て17時20分に大阪駅に到着しました。17時24分に大阪駅を出発し、三ノ宮駅を経て、18時に神戸駅に投薬しました。それまで走っていた特急「富士」よりも約2時間20分も短縮したことから、「超特急」と呼ばれたそうです。
この「特急 燕」は、上述した通り、新橋駅には停車しませんでした。そこで地元の人達が、特急つばめを新橋駅にも止めてほしい、という運動を始めたそうです。その運動をきっかけとして、店名を「つばめグリル」に変更したのだそうです。
元々のお店は1930年(昭和5年)よりも前からやっていたようですし、料理を出すようになったのがいつからなのか、詳細は不明だそうです。ただ、「つばめグリル」という店名に変更したのが1930年(昭和5年)であることは分かっていることから、1930年(昭和5年)を創業年としているそうです。
終戦後の1946年には銀座に移転したそうです。戦後の復興期に「お座敷洋食」として「つばめグリル」は人気店になったそうですが、長くは続かなかったそうです。1964年の東京オリンピックが終わると国内は不景気となり、閑古鳥が鳴くような状態になったそうです。そこで石倉常吉氏が打ち出したのが、前日に作った料理を翌日温めてお客に提供するという効率化策だったそうです。料理の提供スピードが上がったことで、客足が少しずつ戻ってきたそうです。
その一方で石倉常吉氏は自らが考案した、この調理方法に納得できなかったそうです。そんな時、地元、銀座連合会の会長から「仲間内に恥ずかしくない、嘘のない商売をすることが銀座の老舗を生んできた」、「馴染みの人たちにも、恥ずかしくない商売をしなさい」と助言を受けたそうです。この言葉を聞いた石倉常吉氏は経営方針を一変させ、店の接客から調理法までの全てを見直したそうです。
そして1974年(昭和49年)に現在の看板メニューである「つばめ風ハンブルグステーキ」を生み出しました。当時の主力商品であったビーフシチューとハンブルグステーキを組み合わせた料理で、魚や肉などを包んで蒸し焼きにする「パピヨット料理」をヒントに開発されたそうです。アルミホイルで包まれたままお客様に提供するという演出が受け、発売後3ヶ月で一番の人気商品になったそうです。包み焼にしたことで、より旨味が凝縮され、絶妙に絡み合い、大人気になったと考えられます。現在では、つばめ風ハンブルグステーキは全店で1日に6500個も売れる大人気商品になっているそうです。
ハンバーグに使っているミンチは全て店内で、その日に挽いたものだそうです。しかも一度に挽く量は4時間以内に客に提供するものだけだそうです。こうした“こだわり”はハンブルグステーキだけではなく、料理の風味づけに使うベーコン。ウインナーソーセージも、さらにマヨネーズまで自家製でまかなっているそうです。すなわち「つばめグリル」は、手間やコストをかけても、効率が悪くなっても“新鮮”と“手作り”にこだわっているのだそうです。現在は銀座店は閉店しており、品川駅前店を基幹店とし、東京を中心に店舗を展開しています。



・つばめ風ハンブルグステーキ


・アイスクリーム3種盛合せ

・つばめグリル 品川駅前店
住所:東京都港区高輪4-10-26
TEL:03-3441-0121
営業時間:11:00〜22:00
定休日:年末年始
駐車場:無
アクセス:JR、香西駅から徒歩約10分
カード:可(VISA、Master、JCB、AMEX、Diners)
席数:192席
オープン日:1930年(昭和5年)
|