メニュー
TOPページ
観光地
地域情報
日本のホテル
日本のニュース
日本について
美味しいもの
海外事情
海外のホテル
食品の話
雑学
用語辞典
リンク
更新日:
2021年1月17日
|
◎聘珍楼(2020年12月20日)
「聘珍樓(へいちんろう)」は、横浜の中華街にある中華料理店で、日本に現存する最古の中国料理店とされています。横浜の中華街は、横浜市中区山下町一帯に広がっており、神戸南京町や長崎新地中華街と合わせて日本の三大中華街の一つとされています。江戸時代末期の横浜開港と共に外国人居留地が造成され、欧米人が集まるようになりました。その中で、中国人の貿易商が一角に関帝廟を建て、そこを中心に学校などを建て、食料品、雑貨、衣料などの商店が並ぶようになり、中華街の原型が出来始めたそうです。
そんな中、1884年(明治17年)に張という苗字の華僑が、現在の本店所在地に中国料理店を開業したのが始まりです。聘珍樓は横浜で産声をあげました。聘珍樓という名前は、中国古代の文献である「礼記(らいき、禮記)」に収められた「儒行」の一節、「儒有席上之珍以待聘(儒者は宴席の佳肴の如きで、良き人品と道徳を備えて招聘登用されるのを待つものだ)」から名付けられ、「良き人、素晴らしき人が集まり来る館」という意味だそうです。
創業当時は1階にたばこ店などがあり、蒲鉾形の窓を配した2階店舗だったそうです。その後、張茂元氏が引継ぎ、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で瓦解したものの、後に鮑荘昭、鮑金鉅(ホウ・キンキョ)の父子が継ぎ、復興させました。一時は300坪の大型店となり、一度に200~300名を収容できる大広間があったそうです。
しかし第二次大戦で再び荒れ果て、戦後は45坪ほどの焼き豚や腸詰めを売る店になっていたそうです。また、鮑金鉅氏自身も店を再建する意欲を失ってしまったそうです。そんな時、友人であった龐柱琛(パン・チュウシン)氏は「聘珍樓の過去の栄華を考えると忍びない」と考え、1960年頃に鮑金鉅氏から聘珍樓ののれんと土地建物を買い受けたそうです。龐柱琛氏は中国廣東省高明県(現、佛山市高明区)生まれで、19歳で横浜に来たものの、日本での希望を失い、一旦、中国に帰りました。しかし、再び夢を求めて日本に来日し、中国料理店のコックとして修業を積んでいたそうです。
1967年(昭和42年)7月に有限会社聘珍樓を設立した頃には、サンマーメン(生碼麺)や、その他の一品料理を手軽に楽しめる小型店に発展させていたそうです。龐柱琛氏は1972年に帰化し、林達雄さんとして活動しています。
1975年6月に息子である林康弘氏に事業を継承した頃には80坪程の店になっていたそうです。その後、1978年2月に株式会社に組織変更し、吉祥寺聘珍樓本館を開店(現在は閉店)しています。さらに1980年3月には日比谷聘珍樓を開店、1986年4月に横濱中華街本店を全面改築、1988年11月には吉祥寺聘珍樓新館(現在の名称は吉祥寺聘珍樓)を開店、2000年5月に溜池山王聘珍樓を開店、2000年7月に小倉聘珍樓ANNEXを開店、2006年11月に大阪聘珍樓を開店するなど、その後は、順調に事業を広げています。
・聘珍楼(へいちんろう) 横濱本店
住所:神奈川県横浜市中区山下町149
TEL:045-681-3001
営業時間:11:30~15:00、17:00~22:00
定休日:無
駐車場:無
アクセス::みなとみらい線、元町・中華街駅、2番出口より徒歩約6分
カード:可(VISA、JCB、AMEX、Diners、Master)
席数:780席
オープン日:1884年
|