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更新日:
2015年11月20日
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◎来々軒 宇佐町店(2015年11月7日)
「来々軒」は、現在の「白濁したトンコツスープ」を生み出した杉野勝見氏が始めたラーメン屋さんです。杉野勝見氏は1947年(昭和22年)、久留米市内に屋台「三九」を開業しました。杉野氏は豚骨100%のスープの生みの親、「南京千両」の宮本時男氏と親交があり、宮本氏の生年が明治39年であったことと、英語の「サンキュー」にかけて「三九」という屋号にしたそうです。
当初の「三九」は、豚骨をちょっと煮た程度の透明感を残したスープだったそうです。ところが、ある日、杉野氏が母親にスープの管理を任せて仕入れに行き、帰りが遅くなったところ、スープを煮立たせて白濁してしまっていたそうです。失敗作と思いつつ飲んでみると意外に美味しかったため、そのまま「白濁豚骨スープ」として使うことにしたそうです。これが九州を席巻している豚骨ラーメンの最初だと言われています。
杉野氏は4年ほど経った1951年(昭和26年)に、「三九」をのれんごと三九の常連客だった四ケ所日出光氏に店を譲り、自身は縁もゆかりもない北九州市小倉に移り住みました。そして路面電車の「香春口」電停前に「来々軒」という屋台を開業しました。この「来々軒」も繁盛し、すぐに人気店になったそうです。最盛期には1日に700杯も売れ、20km近く離れた行橋までバイクで出前したこともあったそうです。
その後、来々軒を共同で切り盛りしていた杉野氏の弟、昌俊氏は、1954年(昭和29年)に大分県日田市に移住し、来々軒を開業したそうです。これが大分県に豚骨ラーメンが広まるきっかけとなったそうです。
現在でも小倉北区では、杉野勝見氏の息子で二代目の杉野龍夫がお店を切り盛りしています。杉野龍夫氏は先代の味を受け継ぎつつ「えぐみが出るから頭骨を使わなくしたり、炊き方を変えたり」と工夫も凝らしています。
また杉野龍夫氏によると、最初にラーメンに海苔を乗せるようにしたのは杉野勝見氏の久留米時代の「三九」だそうです。メンマを切らして、代わりにノリを入れたのが始まりだそうです。
・来々軒 宇佐町店
住所:福岡県北九州市小倉北区宇佐町1-5-14
TEL:093-551-0293
営業時間:12:00〜21:00
定休日:第1、第3日曜
駐車場:有(4台)
アクセス:北九州高速鉄道(北九州モノレール)、小倉線、香春口三萩野駅(かわらぐちみはぎのえき)から徒歩約15分
カード:不可
席数:20席
オープン日:1951年
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