メニュー
TOPページ
観光地
地域情報
日本のホテル
日本のニュース
日本について
美味しいもの
海外事情
海外のホテル
食品の話
雑学
用語辞典
リンク
更新日:
2016年7月3日
|
◎カツオのたたき(2016年6月11日)
鰹のタタキは、カツオを用いた魚料理で、刺身の一種です。新鮮な鰹のウロコを削ぎ落とし、五枚におろした節を、皮目を中心に表面だけ軽く火が通るように炎で手早く炙り、氷水でしめて中まで火が入っていかないようにした後、水気を布巾などで取り除き、塩を振って、なじませるために手で軽く叩きます。(軽く押さえる感じ)その後、刺身包丁で厚さ1~2cm程度に切って提供します。塩やタレをなじませるために「叩く」ことから「叩き」と呼ばれるようになったそうです。叩くのは、昔は塩が貴重だったため、少量の塩で味をつけるために手で叩いたと言われているようです。高知県の名物とされていますが、特に土佐清水市の名物とされています。
高知では焼く時に稲わらを使うことが多く、「藁焼き」という言い方をされることが多いですが、松葉や炭などで焼いて香りを出すように工夫しているお店もあります。また、皮目を5mmだけ焼く、3mmだけ焼くなど、職人によって焼き方も様々だそうです。表面を炙ることで「カツオ独特の臭みをとる」、「皮目に火を入れて虫を殺す」、「硬い皮の部分に火を入れて食べやすくする」などの効果があるそうです。
最近は高知の「塩タタキ」が知られるようになってきましたが、20年以上前、関東地方で「鰹のタタキ」としてスーパーマーケットなどで売られていました。高知の名物と聞いていましたが、鰹は生臭いものが多く、醤油に生姜、ニンニクなどをつけて食べていましたが、それほど美味しいと思ったことはありませんでした。何故、このような料理が「名物」なのか、全く理解できませんでした。
今年、初めて高知県を訪問し、ひろめ市場にある明神丸というお店でカツオのタタキを食べて、あまりの美味しさに驚愕しました。今まで食べてきた「鰹のタタキ」は、似ても似つかないものでした。今まで「カツオのタタキ」と名乗って売られていたのは詐欺です。こんなに美味しい料理を、不味い料理にして名前を貶めるなんて最低です。「カツオのタタキ」は高知以外で食べてはいけないと思いました。
この時、初めて知ったのですが、カツオのタタキの食べ方は「塩タタキ」か「タレ」なのです。「塩タタキ」など聞いたことも無かったので、初めて食べたのですが、本当に美味しかったです。カツオが新鮮なことも重要なのだと思います。ますます、高知以外で食べてはいけないと思います。
鰹のタタキの発祥については、長宗我部元親が四国平定の時、安芸の浜でカツオの大漁に出会い、茅で焼いて食べた事が最初だとか、藩政時代に幡多でカツオの大漁があり、藁で半焼きにしたのが最初だとか、明治維新に西洋人が来た時、肉の代わりにカツオを半焼きにしてステーキ代わりに提供したのが最初など、様々な説があるものの、明確には分かっていないようです。
宮川逸雄氏は、「塩だたき」という名称からカツオのタタキのルーツについて考察されています。宮川逸雄氏は1999年に「土佐 魚を味わう」という本を高知新聞社より発行しています。宮川氏は足摺岬の西海岸側が発祥ではないか、と推察されています。
古くから土佐清水市の下川口地域では磯魚の「焼き切り」という料理があり、これを酢味噌か、あるいは湯ざまし(熱湯を冷ましたもの)に味噌を溶いて食べていたそうです。「焼き切り」とは、文字通り魚を軽く炙って、切って、温かいまま食べる料理だそうです。
宮川氏は、この「磯魚の焼き切り」が「カツオのたたき」に発展したとの説を述べています。江戸時代は、漁師が自分で釣ったカツオであっても自由にはならなかったそうです。カツオ節は土佐藩の重要な財源であり、幡が強制的に買い上げていたといわれており、庶民がカツオを食べることはなかったようです。明治になっても、カツオは漁師にとって高価に売れる商品であり、地元で食べることはなかったと考えられます。現在でも同じですが、高く売れるものは高く売り、商品価値が低いもの、日持ちがしないもの(輸送が難しいもの)が地元の庶民の口に入るものです。土佐清水市では、それが磯魚だったはずだとのことです。
足摺半島の西海岸は、水田に乏しい地区が多いことから藁は少なく、藁焼きなどを大量にすることはできなかったと考えられるそうです。このため、燃やすものは最も手近にある浜に打ち上げられた木切れや竹などであっただろうとのことです。
また、磯魚の焼き切りは味噌で食べていたそうです。その理由は、磯魚には特有の磯臭さがあり、この臭いを消すには味噌が最適で、今日でも磯魚の刺し身を酢味噌で食べているそうです。湯ざましで味噌を溶く食べ方は秀逸で、水では水っぽくなるが、湯ざましを使うと水っぽくならないというのが先人の知恵だそうです。幡多群佐賀町の郷土料理である「カツオ茶漬け」も湯ざましを用いており、他の料理や製菓で湯ざましを用いるのも同じ理由だそうです。
江戸幕府諸藩料理師範で、明治になって宮内省大膳職庖丁師範を務めた石井治兵衛が1898年(明治31年)にまとめた料理書である「日本料理法大全」にはカツオのタタキについて高知の料理として「鰹の一ふし即ち四つ割のものをなお半分に切って、四つ串の出ている鉄きうにのせて、炭俵(茅でやるとよくないので)をもして、かつおを差し出して焼く。その肉の表面が少し焼けたとき、裏返し両面をあぶる。中の肉は生であるから、これを俎板にのせてさしみにつくる。厚切りにして、塩をふり、酢をかけてよくたたきつけ、皿に入れ、青い紫蘇をきざんで、つまとする。普通のさしみより実にうまい。」という記載があるそうです。
また1893年(明治26年)の「割烹終業授業日誌第二輯」という書物に「松魚のたたき」として「先ず松魚を四節におろし薄塩をいたし金串を刺して其場合肉となる所は少しく下身となる部は久しくふすべ終れば刺身となし而して又食塩をほどよく散り酢及醤油を混じたるものを注ぎかくる也」と、現在のたたきの作り方が記載されているそうです。
・塩タタキ

・タレタタキ

|