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更新日:
2026年4月11日
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◎萩の月(はぎのつき)(2026年4月11日)
「萩の月(はぎのつき)」は、宮城県仙台市青葉区に本社がある株式会社菓匠三全(かしょうさんぜん、創業:1947年(昭和22年)10月15日、資本金:1億円、代表者:田中秀史)が製造、販売しているカスタードクリームをカステラ生地で包んだ饅頭型のお菓子です。
1947年10月に宮城県蔵王町で創業した時は、「田中飴屋」という名称で、製飴業だったそうです。その後、1953年5月に宮城県大河原町に移転し、「田中製菓工場」と名称変更し、油揚菓子の製造を開始したそうです。さらに1964年8月に株式会社に組織変更し、さらに社名を「三全工業」に変更しました。この「三全」とは、「お客さまへのサービス」、「喜働の職場づくり」、「堅実経営」の3つの完全をめざす精神に由来するそうです。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックを境に主力商品のかりんとうの売上が落ち込んでいた三全工業(後の菓匠三全)は1970年(昭和45年)に伊達騒動を描いたNHKの大河ドラマ、「樅ノ木は残った」の放送を機に観光客が増加していた宮城県で土産品に新規参入することを決めたそうです。そしてバウムクーヘンをもとにした新商品「伊達絵巻」を開発したそうです。
1973年(昭和48年)4月に「伊達絵巻」の製造、販売が始まったものの、知名度が無いため、デパートで扱ってもらえなかったそうです。しかし、仙台空港で販売されると売上が伸び、その後はデパートや鉄道弘済会でも販売されるようになり、仙台土産として知名度が高まっていったそうです。
菓匠三全は「伊達絵巻」の成功をきっかけに直営店の展開も始めたそうですが、品揃えが少なかったことから、新商品の開発に取り組んだそうです。この時の新商品開発では消費者アンケートが参考にされ、その結果を元に「餡物ではない、また乾いたものでもない、水分を含んでいるしっとりとした生菓子」が消費者に望まれているという分析がされました。その結果、カスタードクリームをカステラで包んだ菓子の開発を始めたそうです。
菓匠三全は様々な調査結果から、当時、洋菓子店で一番売れていた商品はシュークリーム、贈答品として人気があったのはカステラであったと分析し、両者を組み合わせた商品を開発することを決めたそうです。その結果、完成したのがカスタードクリームをカステラ生地で包んだ「萩の月」です。菓子の形と色を「萩の咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ名月」と見立てて「萩の月」と命名されました。
しかし、「萩の月」は保存料を使用していない生菓子だったため日持ちせず、土産品や贈答品には不向きだったそうです。そこで、1977年に三菱瓦斯化学(現、三菱ガス化学)が商品化に成功した脱酸素剤「エージレス」を用いて、賞味期限を延長させる共同研究を始めたそうです。三菱瓦斯化学との共同研究の結果、脱酸素剤の原料の鉄の臭いが食品に移らないよう活性炭が加えられた脱酸素剤が完成したそうです。
そして、酸素が入らないよう密閉したフィルムで個包装し、その脱酸素剤「エージレス」を同包した「萩の月」は1979年(昭和54年)9月から販売が開始されました。「萩の月」は保存料なしで日持ちする土産品として販売されました。
一方、1978年(昭和53年)3月1日に東亜国内航空(日本エアシステムに社名変更後、日本航空に吸収合併)が仙台空港と福岡空港を繋ぐ初めての定期便が就航しました。これに合わせて東亜国内航空は新しい機内菓子を探していたそうです。それを知った菓匠三全は積極的な営業を行い、その結果、同社の当時の主力商品であった「伊達絵巻」は採用されず、新製品であった「萩の月」が採用されたそうです。
当時は1982年(昭和57年)6月23日の東北新幹線開業前であり、一般の旅行や移動は主に在来線が利用されていたことから、航空便の利用客はビジネスマンや要人が中心だったそうです。そのため機内菓子は高級に見せたいと考え、「萩の月」は小さな箱に個包装されて提供されました。この戦略が当たり、「萩の月」は航空便利用客の間で人気が出たそうです。
さらに歌手の松任谷由実さんがラジオ番組で「萩の月」を絶賛し、「萩の月を凍らせてから半解凍の状態で食べるのが一番好き」と語ったことがきっかけで知名度が高まり、販売量が増えていったそうです。現在では1日あたり10万個が製造、販売されているそうです。



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