親子丼

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更新日:
 2022年5月22日



◎親子丼(2022年5月22日)
 「親子丼」とは、割下などで煮た鶏肉を溶き玉子でとじ、白飯の上に乗せた丼物の一種で、ネギやタマネギなどと共に煮て、彩りとしてミツバやグリーンピース、刻み海苔などを飾ることが多い丼料理です。親子丼の「親子」の名称は、鶏の肉と玉子を使うことに由来します。
 「親子丼」の起源については諸説あるとされており、東京では日本橋にある「玉ひで」という鶏料理のお店が1891年(明治24年)頃、生み出したとする説が主流のようです。ただ、Webの情報によると、「玉ひで」が「親子丼」をメニューに載せて、店内で食べさせるようになったのは1979年以降のことだそうです。これが事実なら、「玉ひで」が「親子丼」発祥の店というのは疑問です。また「玉ひで」は軍鶏鍋の店です。「玉ひで」の「軍鶏鍋」は、軍鶏を割下でスキヤキ風に煮込んだ料理だそうです。このため「玉ひで」の親子丼の鶏肉の形状は、現在の親子丼で使われている「ぶつ切り」とは異なり、スライスされた「薄切り」だそうです。そうだとすると、やはり「玉ひで」が「親子丼」の発祥の店というのは違うのではないでしょうか。
 Webの情報ですが、関西では「親子丼」という料理は、明治初期に既に誕生しており、明治時代後半には現在の形に近い親子丼が普及していたようです。さらに大正時代には一般的な料理として、様々な飲食店のメニューに載っていたようです。関西での発祥の店というのは見つかりませんが、鶏肉、玉子と比較的、入手しやすい材料で作る料理ですから、次々と真似をして広まっていったことは考えられます。
 この関西での明治期の情報として、「親子丼」という名称が確認できる最古の文献資料として、1884年(明治17年)に神戸元町の「江戸幸」が出した新聞広告に「親子 上丼」、「親子 並丼」、「親子 中丼」と書かれているそうです。「江戸幸」は既に廃業しており、当時のメニューは確認できませんが、これが現在と同じ親子丼だとすると、東京の「玉ひで」よりも古いことになります。
 また、これとは別に1903年(明治36年)に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会(3月1日~7月31日)の目玉料理として、北浜銀行頭取の岩下清周氏が大阪の料亭「鳥菊」の店主、内本松次郎氏に「海外のお客様に簡単に調理でき、材料費が安く、大阪らしい食事を提供してほしい」と依頼し、内本松次郎氏が鶏肉の玉子とじ丼を考案し、大好評を博したのが親子丼の発祥とう説もあります。内本松次郎氏の親子丼は鶏肉と白菜、ネギの煮込みを玉子でとじてご飯に載せた料理で、一杯15銭で販売され、人気を博し、その後、関西一円の食堂で提供されるようになったとされているそうです。
 関西では親子丼以外にも、木の葉丼(このはどん)、ハイカラ丼衣笠丼(きぬがさどん)、若竹丼など、様々な玉子とじ丼(玉子丼)が生まれていますので、関西発祥というのもありそうです。
 現在では鶏だけでなく、サーモンとイクラの「親子丼(鮭イクラ丼)」などもあるようです。

・親子丼



・鮭イクラ丼