いかめし、イカ飯

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更新日:
 2010年10月27日



◎イカ飯(2010年10月27日)
 いかめしは、イカの下足(げそ)と腹ワタを取り除いた小ぶりの烏賊の胴体に、洗ったウルチ米とモチ米(1対2くらいの割合)を詰めて、爪楊枝で米が飛び出さないように留めた後、醤油ベースのダシ汁で炊き上げた料理です。胴身に詰める具材には、下足を細かく刻んだものや、筍など山菜類を入れることもあるようです。
 この「いかめし」は、北海道、函館本線の森駅の駅弁として有名です。この「いかめし」を製造、販売しているのは「株式会社いかめし阿部商店」という会社です。江戸時代、函館への街道と室蘭へ向かう噴火湾航路の結節点の宿場町として栄えていた森町で1838年(天保9年)に「阿部旅館」として創業したのが、「いかめし阿部商店」の始まりだそうです。
 1902年(明治35年)に北海道鉄道が開業すると、1903年(明治36年)6月28日に北海道鉄道の本郷駅(現在の新函館北斗駅)と森駅間が開通し、森駅と函館駅を1日4便、往復したそうです。「阿部旅館」は森駅開業と同時に駅構内営業の認可を得て、1903年(明治36年)、阿部旅館内に「阿部弁当部」を発足させ、駅弁の販売を始めました。当時の商号は「阿部弁当店」だったそうです。
 1904年(明治37年)から駅構内での販売を開始し、当初は幕の内弁当やエビ天丼などを販売し、大正時代には弁当の売上が旅館の売上を上回るほど好況だったそうです。
 その後、太平洋戦争中の1941年(昭和16年)、店主の阿部恵三男(あべえさお)氏の妻、阿部静子氏が「いかめし」を考案、いかめし弁当の販売を始めたそうです。これは、戦時体制による食糧統制によって米が不足していたため、当時、道南地区で豊漁だったスルメイカを用いて米を節約した商品として考えられたそうです。
 開発当初は地域の特産品であったジャガイモやカボチャ、トウモロコシなどをイカに詰める試作を行っていたそうですが、「食べて楽しくない」ことから、米を用いることになったそうです。名称は「いかごはん」とする案も強かったそうですが、阿部静子氏が「ここは田舎だから」との思いから「いかめし」としたそうです。イカに米を詰め込んだ「いかめし」は腹持ちもよく、鉄道で移動する軍人さんにも人気だったそうです。「いかめし」が美味しいと評判になり、事業が好調だったことから1943年(昭和18年)3月に旅館業を廃業し、駅構内営業の専業業者になりました。
 しかし、森駅に急行が停車しなくなると売上が減少していきました。このため阿部恵三男氏は1955年(昭和30年)に東京の百貨店での実演販売への参入を発案し、これを実施すると催事での売上が拡大しました。
 1966年に京王百貨店で「第1回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」が行われ、阿部弁当店は、この烏賊飯を出品したそうです。この時は、売上4位でしたが、第2回大会には早くも売り上げ1位となり、以後、同大会をはじめとする「駅弁大会」の常連となったそうです。これによって、「いかめし」は、森町名物、あるいは北海道名物として全国的に知られるようになっていきました。
 現在では、いかめし阿部商店以外の業者も製造販売しており、駅弁大会や北海道物産展などの催事や通信販売で容易に入手できるものとなっています。現在では、いかめしの販売数は、地元の駅弁としてよりも、全国での物産展での販売数の方が多いのだそうです。