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更新日:
2024年4月30日
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◎家系ラーメン(2023年4月15日)
「家系ラーメン(いえけいラーメン)」とは、1974年(昭和49年)に横浜市金沢区で開業したラーメン屋、「吉村家」を発祥とする、こってりした豚骨醤油のスープに、中太のストレート麺、海苔、ほうれん草、チャーシューという基本のトッピングが特徴のラーメンです。
「吉村家」を開業した吉村実氏は様々な職業を経験した後、長距離トラックの運転手をした後、東京、平和島(東京都大田区)のトラックターミナルにあったラーメンショップ(現在は閉店)で半年間修行し、その後、独立し、ラーメン屋を創業しました。開業当初は味が決まっていなかったそうですが、開業後もお客さんの意見を聞いたり、独自に研究を重ねたりした結果、現在、主流となっている「豚骨醤油」に鶏油をかけたスープが完成したそうです。
吉村実氏によるとトラック運転手として全国を走っていた時、各地のラーメンを食べ歩いた結果、東京の醤油味と九州の豚骨のちょうど中間にあるような「いいとこ取り」のラーメンができないかと考えていたそうです。そういう意味では、開業当時には無かった関東の人達に合う九州ラーメンということかもしれません。このコンセプトだったから、関東地区をはじめ、現在、全国に様々なお店ができているのかもしれません。
「吉村家」のラーメンは豚骨、鶏ガラベースの豚骨醤油スープと、酒井製麺の中太麺、大判海苔にほうれん草のトッピングが特徴です。また、注文時に味の濃さ、麺の固さ、油の量を選べるのも特徴の1つです。
この「吉村家」で1980(昭和55)年から修業していた荘司敏晴(しょうじとしはる)氏が1982(昭和57)年に独立、「がんこ亭」をオープンしました。これが吉村家からの独立、1号だそうです。その後、1984年に長谷川氏が独立し、「長谷川家」を開店しました。長谷川氏は、お金を払って修業し、ノウハウを買ったそうですので、店名に「家」を付けるのは吉村実氏の強制だったのかもしれません。その意味では、「家系」を広げる最初の1歩が「長谷川家」だったのかもしれません。
その後、吉村実氏は1986(昭和61)年に同じ横浜市中区の本牧、間門に「本牧家」をオープンさせました。これが「吉村家」の2号店です。この「本牧家」の店長を任されたのが「吉村家」で修業していた神藤隆(じんどうたかし)氏です。
しかし、その後、神藤隆氏は吉村実氏と袂を分かち、1988年(昭和63年)に横浜市神奈川区六角橋商店街近くに「六角家」を開店しました。この時、「本牧家」で働いていた近藤健一氏も「六角家」で働くことになったそうです。その後、近藤健一氏も独立しようとしたものの、諸事情で「横濱家」を共同経営することになったそうです。その後、そのパートナーと経営方針の対立が起き、近藤健一氏は「横濱家」を退職、原祥介氏と「介一家(すけいちや)」をオープンさせました。しかし近藤健一氏は原祥介氏とももめて独立、1992年に近藤家をオープンさせました。近藤健一氏が去った「横濱家」、「介一家」はチェーン展開をはかり、横浜市内に店舗を広げていきました。
一方、神藤隆氏は1994年に新横浜ラーメン博物館が開業すると、同館に出店し、「六角家」の知名度を高めました。そして横浜にとどまらず、羽田、戸塚、海老名、船橋、御徒町、札幌、名古屋、大阪、高松など、全国各地に「六角家」の支店を展開していきました。また、これとは別に、六角家で修業した人が独立するなどしたため、1990年代になると「家」を店名につけたラーメン屋が増えていきました。この結果、「家系」と呼ばれるラーメンの一分野ができました。
したがって、実際に吉村家で修業して正式に独立した店、独立した後、吉村家とは別れた店、これらの店で修業して独立した店、そもそも関係ないものの似たような味にした店(いわゆる「インスパイア系」と呼ばれる店)、商売になると考えて似たような味にした店など、さまざまなお店が乱立しており、各店主の修業先を確認しないと、どういう系譜なのか分からなくなっています。
2021年5月現在、直系店舗とされているのは、杉田家(津村進、神奈川県横浜市磯子区新杉田)、はじめ家(小沢肇、富山県魚津市)、上越家(石平哲也、新潟県上越市)、厚木家(吉村政紀、神奈川県厚木市)、高松家(筒井、香川県高松市)の5店舗だけです。ちなみに厚木家の吉村政紀氏は、吉村実氏の次男で、長男は現在、吉村家を継いでいるそうです。

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