なれずし、熟れ鮨、馴れ鮨、生なれずし

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更新日:
 2024年9月29日



◎なれずし、熟れ鮨、馴れ鮨、生なれずし(2024年9月29日)
 「すし」に関する記録は古くからあり、奈良時代の文献に載っているそうです。この頃のすしには、「鮓」という字が当てられ、魚貝類を塩漬けにして発酵させた料理を指していたようです。発酵させる事によって自然に酸味が生じて味が良くなり、保存も効くようになります。魚の漬物のようなもので、保存食として食べられていたようです。
 この古代の寿司が「なれずし」です。コイやフナなどの川魚に米飯と塩を混ぜて、重石を置き、数ヶ月から数年かけて、熟成させます。すると川魚のたんぱく質が乳酸発酵して酸っぱくなり、独特のうま味が出ます。こうして発酵させたものは、長期間の保存が効いたため、様々な場所で作られたようです。この場合、ご飯はどろどろになってしまうので、魚だけを食べたそうです。いわば魚の漬物が「なれずし」なのです。発酵が進むにつれて「馴れる、熟れる」ことから「なれずし」と呼ばれています。
 平安時代中期に編纂された律令の施行細則である「延喜式(927年(延長5年)に完成)」には、西日本各地の特産品としてアユずし、フナずし、サケずし、アメノウオずし、猪ずし、鹿ずしなど、様々な「なれずし」が記載されているそうです。平安時代中期には漬ける「ネタ」の種類が増え、獣の肉などにも応用されるようになっていたことが分かります。これらは朝廷に納められ、貴族や、高級官吏の手にも分けられたそうです。やがて地方の役人も口にするようになり、しだいに庶民にも広がっていったようです。
 このような寿司は、現在でも近江地方に伝わる鮒ずし(ふなずし)に受け継がれています。

 この「なれずし」が、現在のように御飯も一緒に食べる形になったのは、室町時代といわれいるそうです。「なれずし」よりも簡単に作って食べようとする「生なれずし」の誕生です。
 ごはんと塩漬けの魚で発酵させるのは同じですが、「なれずし」が約3ヶ月~1年の発酵期間をおくのに対し、「生なれずし」は2週間~1ヶ月ほどの発酵期間で食べるそうです。完全に熟成させないため、魚はまだ生っぽさが残っていますが、ご飯にはほどよく酸味が出て食べられるそうです。貴重品だった御飯を捨てることなく、魚と一緒に食べるように変化したようです。
 ただし「生なれずし」には、現在の寿司に比べて独特な匂いがあります。安土桃山時代、16世紀に活躍した堺の商人であり茶人であった津田宗及の残した茶席での献立に「生なれずし」が何度となく登場するそうです。したがって、織田信長や豊臣秀吉が口にした鮨は「生なれずし」だったということです。
 当時はまだ、高級な食べ物だったと考えられますが、庶民も口にするようになっていたようです。この頃の和歌に「生成りのすしにも似たる近江衆 石を重しと持たぬ日はなし」というものがあるそうです。
 この「生なれずし」が、秋田の「ハタハタずし」、鯖の糠漬け(へしこ)を水洗いし、腹に米と麹を入れて発酵させる「福井のなれずし」、岐阜の「アユのなれずし」、かぶらとブリを使った石川の「かぶらずし」、大阪の小鯛の「雀ずし」など、現在でも郷土料理として残る発酵させるタイプの寿司の原型です。