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更新日:
2024年6月1日
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◎水たき、水炊き(みずだき、みずたき)(2024年5月28日)
「水炊き(みずだき、みずたき)」とは、日本の鍋料理です。関西と長崎の2つの料理があるそうです。いずれも、素材を水(湯)のみで煮る調理法であることから、「水炊き」と呼ばれるようになったようです。
関西地方では、水を張った鍋に昆布を敷き、鍋をそのままひと煮立ちさせ、そこに肉、野菜、その他の具材を入れ、それらに火が通れば完成という料理です。湯豆腐のように鍋つゆに味をつけず、椀に取り分けてから醤油やポン酢などで味をつけて食べる鍋料理を「水炊き」と呼んでいたようです。現在では牛肉を用いるものは「しゃぶしゃぶ」、白身魚の切り身を主材とするものは「ちり鍋」と呼ばれるようになり、単に「水炊き」といえば鶏肉や豚肉などを用いたものを指すそうです。
このため使用する食材は鶏肉、豚肉、魚介類、豆腐、油揚げ、ハクサイ、長葱、春菊、ミズナ、ほうれん草などの葉物野菜類、シイタケ、シメジ、エノキなどのキノコ類、薄く切った大根、人参などの根菜類、春雨、葛きり、マロニーなど多岐にわたり、それぞれの家庭により微妙に異なるようです。
一煮立ちして、一通り火が通ったら、食べ頃の具から順に取り、取り皿のタレに付けて食べます。タレは、ポン酢醤油に薬味(紅葉おろし、刻んだ青ねぎなど)を入れた物が一般的ですが、削り節を醤油と練った物を鍋の出汁でのばした物や、めんつゆ、梅肉に醤油を垂らした物を鍋の出汁でのばした物、あるいはしゃぶしゃぶなどで使われる胡麻ダレで食べる人もいるようです。具が少なくなれば、随時追加していき、締めは雑炊にしたり、うどんや餅を入れたりします。
一方で九州の水炊きは、「水から炊き出した鶏のスープ」を味わう料理です。鶏ガラや骨付きの鶏肉を長時間煮込み、十分に出汁が出てから野菜やその他の具材を投入し食べます。その由来には、いくつかの説があるそうです。
1643年(寛永20年)に作られた江戸時代初期の代表的な料理書である「『料理物語』の「第九 汁の部」に「南蠻料理(南蛮料理) 鶏の水たき」という名で長崎の名物家庭料理が記載されているそうです。そこには「鶏の毛を引き、かしらと足としりを切り洗い、鍋に入れ、大根を大きに切り入れ、水をひたひたよりうへに入れ、大根いかにも、やはらかになるまでたく。さて鳥をあげ、こまかにむしり、もとの汁へかけをおとし、また大根にてすりあはせ、出候時、鳥を入れ、さか塩口にて、すい口にんにく、その外色々、うす味噌にてもつかまつり侯。妻に平茸、ねぶかなども入。」とあるそうです。すなわち「丸ごとの鶏とダイコンを柔らかく水煮にした後に食べやすくほぐし、酒や塩、ニンニク、味噌などで調味して食べる。」という料理です。同じく汁の部に記載されている「鶴の汁」や「狸汁」などは味噌を加えて煮ていることから、明らかに異なる作り方です。この南蛮料理は江戸時代の終りまで長崎の家庭料理として伝えられ、長崎の名物料理の1つになっていたと考えられているそうです。
また、「博多水たき発祥の店」を謳っている福岡県福岡市にある料理店、水月では次のように説明しています。「水月」の創業者である林田平三郎氏は長崎で生まれ、明治30年、15歳の頃に料理の勉強のために香港に渡り、英国人の家庭に住み込み、働いたそうです。そこで学んだ西洋料理のコンソメと中国料理の鶏の水煮を日本人の口に合うように工夫してオリジナルの料理を生み出したそうです。そして帰国後、明治38年(1905年)に水炊きの店を博多に開店したそうです。ちなみに水月のスープは澄んだコンソメ風です。
一方、現在の博多の水炊きは白濁したスープが主流です。こちらは1910年(明治43年)に博多で創業し、白濁した汁の鶏の水炊きで人気を得た料亭、新三浦の影響だと考えられます。料亭新三浦は東京、大阪、京都などにも店を出し、「博多水だき」の名を各地に広めました。このため、現在、博多では白濁したスープの「水炊き」が多いのだと考えられます。
ちなみに「水月」は「水たき」と記載していますが、「新三浦」のメニューは「水だき」となっています。「水月」はスープが透明で濁っていないので「たき」で、「新三浦」は白濁した濁ったスープなので「だき」だという説があります。
・水炊き

・博多、澄んだスープの鶏の水炊き

・博多、白濁したスープの鶏の水炊き

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